自動車の個性は、時代や社会の要請、市場環境や自動車メーカーのブランド戦略などに影響されますが、スタイリングを決定づけるのはデザイナーの力量に他なりません。
そこで、第2節「デザイナー」では、メーカーの垣根を取り払い、デザイナーとカロッツェリア(イタリアのデザイン工房)に焦点を当て、彼らの個性的な作品群を全9項に整理して紹介します。
6-2-1. フィッソーレ社
6-2-2. マルチェロ・ガンディーニ氏
6-2-3. ジョルジェット・ジウジアーロ氏
6-2-4. ピニンファリーナ社
6-2-5. フランコ・スカリオーネ氏
6-2-6. エルコーレ・スパーダ氏
6-2-7. ピーター・スティーブンス氏
6-2-8. ボブ・ウォレス氏
6-2-9. ザガート社 (原語・姓のアルファベット順)
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Artwork Lamborghini Miura Concept 2006
作品紹介 ランボルギーニ・ミウラ・コンセプト 2006年
Description
At the 2006 North American International Auto Show in Detroit, Lamborghini Miura Concept was presented as a modern interpretation of
Miura that was the Lamborghini's first midship surpersports debuted in 1966. Celebrating its 40th anniversary, Walter de' Silva, who was the head of Lamborghini
Design and later that of Volkswagen Group Design, re-styled and create strictly as a concept model with no future
production. He refined the contours and eliminating any superfluous detail in order to enhance the clean, simple lines and perfectly-balanced proportions of the
original designed by Marcello Gandini. This type of car is called a retro car or retro-style automobile that bears
characteristics inspired by past cars while still technologically modern. Famous and typical examples are Mini 2001, Ford GT 2004 and Fiat 500 2007. The model car is specially ordered red colour
version created by Looksmart Italy.
作品解説
2006年の北米国際(デトロイト)オートショーで、伝説の車名を掲げたランボルギーニ・ミウラ・コンセプトが正式にお披露目されました。1966年にランボルギーニが世に送り出した自社初のV12ミッドシップ・スーパースポーツ・ミウラの40周年を記念し、ランボルギーニ・デザインの責任者ワルター・デ・シルヴァ(後のフォルクスワーゲン・グループ・デザインの総責任者)が、先人たちの偉業を称えるためのコンセプト・カーです。当初から生産は計画されていませんでした。彼は、マルチェロ・ガンディーニが創造したオリジナル・ミウラの外観を忠実にトレースし、余計な細部を取り除いて、シンプルなボディ・スタイリングと完璧なプロポーションが強調されるようにリデザインしました。当時のデザインが40年を経ても全く色褪せていないことの証明です。このように往年の名車をモチーフにして、個性や特徴を模した外観と最新技術を結び付ける手法をレトロ・デザインなどと呼び、生み出された自動車をレトロ・カーなどと呼びます。その典型でかつ成功例は、2001年のミニ、2004年のフォードGT、2007年のフィアット500などがあります。このモデルカーは、大阪の老舗ショップ・ロムがイタリアのルックスマートに特注したレッド・ボディ版です(実車は黄色)。
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〔学院長の補足メモ〕
ありったけの情熱と時間と私財を費やして没頭する私のモデルカー趣味、その起源は日本中を席巻した70年代のスーパーカー・ブームに他なりません。漫画「サーキットの狼」が火付け役と言われていますが、私は作品を一切読んでいません。なのにスーパーカーにハマった理由、つまりもっと根深い前日譚についてお話しします。
あれは「アタックNo.1」だったか、姉が見ていたバレーボール・アニメの時間帯に、何気なくテレビの前に座っていました。夕方6時だったと思います。突然画面の中に映し出されたのは「マジンガーZ」でした。新聞も読まない小学低学年だった私は、そんな新番組が始まろうとは夢にも思っていませんでした。
サンダーバードのような秘密基地の妙味、乗り物が合体して操縦席になる斬新さ、ヒーロー然とした強くてカッコいいロボット、そしていかにも悪者然とした敵役と敵メカ達。私も世の多くの子供達と同じように強い衝撃を受け、30分で巨大スーパーロボットの世界に魅了されてしまいました。
子供心を虜にしたマジンガー・シリーズは3代続き、加えて変形合体を取り入れたゲッター・シリーズ、全身パーツが磁石で合体するシリーズなど、永井豪先生の業績によってロボット・アニメという新ジャンルが確立されました。さらに、安彦良和の手になる神話的デザインの「勇者ライディーン」、松本零士の「惑星ロボ/ダンガードA」、個性的な母艦を持つ「大空魔竜ガイキング」、まるで戦隊ヒーローのロボット版「ブロッカー軍団Ⅳ/マシーンブラスター」、アメフト選手然とした「UFO戦士ダイアポロン」、そして合体・変形にリアリティを持ち込んだ「超電磁ロボ/コン・バトラーV」シリーズなど、わずか5~6年でバラエティに富んだ発想やデザインワークが隆盛を極め、知らず知らずのうちに私は(たぶん他の多くの子供達も)大きな知的刺激を受けました。もちろん、仮面ライダーや戦隊ヒーロー、ウルトラマンなどの特撮物、ガッチャマンやキャシャーンなどのタツノコ・ヒーロー・アニメも知的刺激に溢れていました。この時代に日本の小学生でいられて、本当に幸せだったと思います。
そして、私が小学高学年に差し掛かった頃、世の中を席巻したのがスーパーカー・ブームです。メディアに取り上げられるきっかけは「サーキットの狼」だったかもしれません。しかし、情報の受け手側の深層はこうです。それまで子供達は、テレビ画面の中の物語でしか「カッコいいメカ」を知りませんでした。すると突然、現実社会の工業製品であるスーパーカーが群れを成して登場し、浮世離れした「カッコいい」デザインワークを次々と見せつけたのです。
アニメのロボットメカによって醸成されていた「カッコ良さ」への感性が、子供たちの成長と共に一気に現実社会へと向けられました。架空の物語で鍛えられ、大きく育っていた感性の器に、リアリティを伴うスーパーカーの「カッコ良さ」が、まるでダムが決壊したかの如く流入しました。そして彼らは貪るように様々な情報に飛びつきました。当時のスーパーカー商品展開を振り返れば、売り手と買い手の貪欲ぶりが伺えます。そうして空前絶後の爆発的大ブームが巻き起こったのだと私は解釈しています。何故なら、 あの社会現象の主役は、決して実車を駆るスーパーカー・オーナー達ではなく、あと何年も運転免許が取得できない子供達だったからです。
私自身がその典型でした。都から遠く離れた高知県のさらに地方の片田舎に住んでいましたが、県内で開催された2種のスーパーカー・ショーに足を運びました。ミニカーも20台くらいは持っていたと思います。駄菓子屋で買ったスーパーカー・カードで当たりを引き、A3サイズ位のポスターをもらいました。白いボディに赤い内装の「ランボルギーニ・カウンタック」でした。子供部屋に貼って眺めながら、「これは一体何なんだ」としばらく頭と心が混乱していたことを覚えています。あのポスターがもし4ドア・セダンのロールス・ロイスだったら、今の私は無かったかも知れません。
1970年代には、多くの家庭にマイカーが普及しており、自動車は身の回りにある実用品の一つでした。そのためか子供心に「カッコいい」と思ったことはありませんでした。なのに、一連のスーパーカーは尋常でなくカッコいいのです。町を走る日本車と、写真で見る(主に)イタリアン・スーパーカーは、「本当にこれで自動車という同じジャンルの工業製品なんだろうか!?」と。そういう釈然としない疑問から発展し、私は次第に現実世界で広がるメカデザインの奥深さに目覚めていきました。紆余曲折を経て、再び「ランボルギーニ・カウンタック(1/43)」に出逢うのは、その十数年後、ロンドンのレスタースクエアでのことです。
2020年3月某日
ここで紹介した内容は、CMSを使って『モデルカー学』を制作するための予行演習として、2010年10月に開設した個人ウェブサイト『Passion for VF-2SS Valkyrie II (バルキリーⅡファンクラブ)』の中から一部を引用・加筆修正したものです。ロボット系のメカデザインにご関心のある方なら是非覗いてみて下さい。なお、引用元のページは『My Story - 私と「バルキリーⅡ」の出会い』です。ロボットの具体的な写真も掲載していますし、イギリス⇒オランダと経て、東京に戻って「バルキリーⅡ」に出会うまでの経緯も語っています。