第4章 / 第5節 歴史の私有化 Privatization of History

モデルカーを手にすることは、現存する実車の縮小模型を所有するだけではありません。対象となる実車には、既に消滅して1台も現物が存在しない車種や、わずか数台しか生産されなかった車種、少量生産の後にブランド自体が消滅した車種なども含まれます。それら稀少車種のモデルカーは、生物に例えるなら “絶滅種の剥製” に該当します。

 

日本国内で野生の象や虎に出会えないように、田舎でスーパーカーに遭遇することはまずありません。さらに、歴史的な稀少車種となると、実車を目にすることは一生無いかもしれません。実車の写真は過去の記録情報ですが、モデルカーは縮小模型とはいえ、目の前に実在している3D造形物です。そうしたモデルカーならではの魅力を紐解きます。


Artwork   Jaguar XJR15 1990

作品紹介 ジャガー XJR15 1990年

1/43 Jaguar XJR15 1990 ジャガー XJR15 1990年

Description
Based on Jaguar's success at Le Mans 1988, the world's first fully carbon fibre road car XJR15 was specially built in 1990 by Jaguar Sport, a partnership of Jaguar and TWR (Tom Walkinshaw Racing) for a new one-make racing called the Jaguar Intercontinental Challenge to support F1. Thus, XJR15 was developed as the road-going Le Mans-winning XJR9LM in limited production that was manufactured by TWR. The retained engine was a 450ps naturally aspirated V12 of 5993cc and both chassis & bodywork were entirely composed of carbon fibre and kevlar, 3 years ahead of McLaren F1, designed by Tony Southgate at TWR. A new aerodynamic styling was drawn up by Peter Stevens who later designed McLaren F1. TWR produced only 5 evolution versions XJR15LM featured the 7.4 litre V12 engine derived from newer Le Mans car XJR12 with a power output upwards of 760ps. The model car is the hand built from the best proportion Starter kit.

作品解説
1988年、ジャガーに31年ぶりのル・マン制覇をもたらしたTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)は、F1を支援するワンメイク・レース(ジャガー・インターコンチネンタル・チャレンジ)の新規開催を企画し、1990年にジャガースポーツのブランド名で世界初のフル・カーボン・ファイバー製ロードカー・XJR15を誕生させました。開発コンセプトはル・マン優勝車XJR9LMの公道仕様(ロードカー)で、エンジンは450psの自然吸気6リッターV12、シャーシとボディはTWRのトニー・サウスゲートがカーボン・ファイバーとケブラー製(マクラーレンF1より3年早く)にリ・デザインしました。XJR9のグループCカー特有の単調で無骨な外観は、後にマクラーレンF1をデザインするピーター・スティーブンスの才能により、正にジャガーの俊敏さとしなやかさを体現したかのような、流線形でフラット形の美しい空力フォルムへと変貌しました。TWRは、1990年にル・マン再制覇を果たしたXJR12からの760ps 7.4リッター V12エンジンを搭載し、スパルタン度を増した外観を持つ特別仕様車XJR15LMを5台だけ製作しています。XJR15のモデルカーは数少なく、キットが写真のスターター(造形の完成度が高い傑作キット)とプロバンス・ムラージュ、完成品がスパークから発売されました(2015年5月現在)。



自身が構築する卓上の歴史絵巻


歴史から消えた稀少車を所有

自動車業界では、稀少車を1/1の実走モデルとして再現する場合があります。所謂 “レプリカ” です。その代表格に、一般販売用に開発した自社製品や、幻の車種を純粋に蘇らせるためのプロジェクトなどが挙げられます。

 

前者は、ホークHF2000(ランチア・ストラトス)やノーブルP4(フェラーリ330P4)など、後者は、1969年にワンオフ製作され1972年に全損事故で失われたランボルギーニ・イオタ(オリジナルJ)を、11年の歳月を費やし2003年に完全再現したクローン・イオタなどが知られています。

 

レプリカとは言え、1/1の実車は購入や維持管理において、通常の市販車以上の困難さを伴います。それに比べてモデルカーは遥かに入手しやすい上、同じ3D造形物としてオリジナル実車の魅力を十分に再現できています。搭乗と走行ができない代わり、燃料代や修理費、税金や保険、駐車場などは必要ありません。

 

自動車に限らず、スケールモデルに共通の醍醐味ですが、歴史の一部と化したような過去の稀少車種も、モデルカーでなら手元に置いたまま、全方位から実車のエンジニアリング物語を堪能することができます。

 

実車の世界では、それがスーパーカーなら尚更、デザインはもちろん運動性能や信頼性、サポート体制や商品価格、ブランド・イメージなど、多くの要素が絡み合って総合的に評価されます。その結果、人気が出ず販売が振るわなければTVや雑誌などメディアへの露出は激減し、数年経つとその存在すら人々の記憶から消え失せます。

 

一方、私は実車を購入しないので、主に造形上のデザインから主観的な評価を下します。そのため、私がいくら気に入っても業界の評価が低い車種は、歴史の表舞台から下ろされ、陽の当たらない場所に追いやられます。

 

そこで、私自身の価値観でもう一つの自動車史を構築します。それが、1/43スケールのモデルカー・コレクションです。たとえ、歴史に埋もれ、人々から忘れ去られた稀少車でも、3D造形物が実在しさえすれば、人気車種と等しく光を当て続けることができるのです。

 

数々の車種が該当しますが、特に私が大好きな2作品を紹介します。誰もが知っている超有名な実車ブランドに属しながら、車種自体は実車でもモデルカーでも、その存在がほとんど知られていないという超稀少車です。もちろん、有名車種に負けない素晴らしい魅力に溢れています。

例:Aston Martin Vantage 1993

アストン・マーティン・ヴァンテージ 1993年

Specifications / 主要諸元

Manufacturer / 製造会社 Aston Martin Lagonda Limited アストン・マーティン・ラゴンダ社
Production / 製造期間 Vantage: 1993-1999
Vantage Le Mans: 1999-2000
Vantage Volante: 2000
ヴァンテージ: 1993~99年
ヴァンテージ・ル・マン: 1999~00年
ヴァンテージ・ヴォランテ: 2000年
Quantity Built / 生産台数 Vantage: 239 Units
Vantage Le Mans: 40 Units
Vantage Volante: 9 Units
ヴァンテージ(クーペ): 239台
ヴァンテージ・ル・マン(クーペ): 40台
ヴォランテ(コンバーチブル): 9台
Body Style / 車体形式 2 Door Coupe (2+2), Convertible 2ドア・クーペ(2+2)、コンバーチブル
Engine / エンジン型式 Twin Superchargered
5.3 litre V8 DOHC
ツイン・スーパーチャージャー
5.3リッター V8 DOHC
Lated Output / 定格出力 Vantage: 558 ps
Vantage Le Mans: 608 ps
ヴァンテージ: 558 ps
ヴァンテージ・ル・マン: 608 ps
Layout / 駆動方式 Front-engine, Rear-wheel-drive FR: フロント・エンジン、リア・ドライブ
Dimensions / 寸法 mm L 4745 x W 1924 x H 1330 mm 全長4745 × 全幅1924 × 全高1330 mm
Kerb Weight / 車両重量 1,920 kg, 1,998 kg (Le Mans) 1,920 ㎏、1,998 ㎏(ル・マン)
 Designer / デザイナー Mike Booth (Programme Manager)
John Heffernan, Ken Greeley
マイク・ブース(プログラム・マネージャー)
ジョン・ヘファーナン、ケン・グリーンレイ
Related Car / 関連車種 Virage (1989-96): 598 Units
V8 Coupe (1996-00): 101 Units
V8 Volante (1997-00): 64 Units
ヴィラージュ(1989~96年): 598台
V8クーペ(1996~00年): 101台
V8ヴォランテ(1997~00年): 64台
1/43 Aston Martin Vantage 1993 アストン・マーティン・ヴァンテージ 1993年

不遇の時代に輝く獰猛な気高さ

93年式ヴァンテージを初めて知ったのは、オランダ駐在時に見た英国放送協会(BBC)の人気自動車番組「トップ・ギア(Top Gear)」で、ニューポート・パグネル工場を訪問紹介した回です。驚いたのはV8エンジンを1人の職人が1台丸々組み上げ、完成後に自分の銘(ネーム・プレート)を取り付ける慣わしです。工業製品としてのコストや効率を度外視した、伝統的なハンドメイド生産の極致です。

 

“ヴァンテージ” とは、アストン・マーティンがフラッグシップ(旗艦)たる歴代のハイ・チューン・モデルに冠する最上級の呼称(例外あり)で、ベース車は89年式のヴィラージュ(フランス語でコーナーの意味)です。始まりは、伝統のジェントルマンズ・サラブレッド・スポーツカーを目指し、86年に英国のデザイン事務所5社で実施したデザイン・コンペです。ジョン・ヘファーナンとケン・グリーンレイのデザインが採用されました。

 

いつの時代、何の対象でも、伝統を重んじながら進化を遂げるのは困難です。先代(72~90)のAMV8やV8ヴァンテージのフォルムを継承しつつ洗練させたスタイリングなのに、当時経営難で他ブランドからの部品流用などに走ったせいか、“アストン・マーティンらしくない” との評価が浸透していきました。確かに中途半端さは否めず、私もヴィラージュを好きな車には分類していません。

 

アストン・マーティンは、92年からヴィラージュに高性能エンジンを積み換えるサービスを開始し、同年9月の英国バーミンガム・ショーでハイ・パフォーマンス・モデルのヴァンテージを発表します(発売は翌年から)。キャラウェイがチューンしたツイン・スーパーチャージャー558psエンジンを搭載し、2トンの車体で時速300kmを発揮するモンスター・マシンです。

 

ヴァンテージの開発にはプログラム・マネージャーのマイク・ブースが加わり、ヴィラージュ・デザイナーのジョンやケンと共に、ドアとルーフ・パネル以外は全て新造するという大リファインを決行しました。その結果、ヴィラージュとは似て非なる優美で精悍なエクステリアに変貌し、当時随一のパワーも獲得して、正真正銘のフラッグシップに生まれ変わりました。

 

外観上の特徴的な変更箇所は、曲面カヴァーに覆われた片側3連のプロジェクター・ヘッドライト、伝統的な格子状のフロント・グリル、大型化したフロント・スカート、張り出した前後フェンダー、新デザインの6本スポーク・ホイール、クラシカルな丸形4灯テール・ランプなどです。デザインの完成度は高く、ベース車種であるヴィラージュも96年から同系統のエクステリアに変更され、名称もV8クーペになりました。

 

ヴァンテージと同じ93年、フォード・モーターでRS200にも携わったイアン・カラム(当時TWRデザインのチーフ・デザイナー)の手になるアストン・マーティンDB7(直6エンジン)が発表され、新設のブロクスハム工場で劇的なコストダウンと共に量産が開始されました。99年には、自社初となるV12エンジンを搭載したDB7ヴァンテージが発売されます。

 

当時の新車価格でヴァンテージが19万ポンド、ヴィラージュが12万ポンドなのに対し、V12のDB7ヴァンテージですら7万8千ポンドで、ヴィラージュより35%割安でした。低価格の魅力と共にイアンのデザイン(私は好きではありませんが)は市場で歓迎され、DB7シリーズは大成功を収めます。

 

ヴィラージュは、フォードによる買収前に誕生した最後の純正アストン・マーティンだったのですが、ヴァンテージや後継車のV8クーペを合算しても生産は1105台止まりです。それに対しDB7シリーズは、“アストン風のジャガー” と揶揄されつつも計9138台(94~03年)が生産され、フラッグシップの座はヴィラージュ系からDB7系へと移行していくのです。

 

経営危機を脱したアストン・マーティンは、再びイアン・カラムを起用し、DB7をマッシヴに進化させたV12ヴァンキッシュを2001年に登場させます。同時に、007映画で最新ボンドカーの座も奪還しました。それ以降のアストン・マーティンは、DB7を源流とし、ヴァンキッシュの流れを汲むスタイリングを、ブランド・アイデンティティへと定着させています。

 

歴代モデルの中で、ヴィラージュ系だけがボンドカーに採用されていません。アストン・マーティンにとって、ヴィラージュや93年式ヴァンテージは、伝統と革新の間でもがき苦しんだ、思い出したくない時代の象徴なのかもしれません。しかし、モデルカー・コレクターの私にとって93年式ヴァンテージは、アストン・マーティン史上最も魅力を感じる1台です。

 

写真のモデルカーは、英国サクソン・モデルのレジン製ファクトリー・ビルト完成品(キットもあり)で、最も正確に造形された逸品です。他にも93年式ヴァンテージは、プロバンス・ムラージュ(レジン製キット)、ウェスターン・モデル(ホワイトメタル製完成品)、99年式ヴァンテージ・ル・マンは、ピラニア・モデル(ホワイトメタル製キット&完成品)、スパーク(レジン製完成品)だけが製品化しました(2015年5月現在)。世界モデルカー博物館では、全てを完成品状態で展示してあります。

例:De Tomaso Guara 2001

デ・トマソ・グアラ 2001年

Specifications / 主要諸元

Manufacturer / 製造会社 De Tomaso Modena SpA
(ex- De Tomaso Automobili SpA)
デ・トマソ・モデナ社
(前・デ・トマソ・アウトモビリ社)
Production / 製造期間 1993–2004 1993~2004年
Quantity Built / 生産台数 50 Units 50台
Body Style / 車体形式 2 Door Coupe, Spider, Barchetta 2ドア・クーペ、スパイダー、バルケッタ
Engine / エンジン型式 1993–1998: BMW 4 litre V8
1998–2004: Ford 4.6 litre V8
93~98年: BMW製 4リッター V8
98~04年: フォード製 4.6リッター V8
Lated Output / 定格出力 BMW: 308ps, Ford: 375ps BMW製:308 ps、フォード製:375 ps
Layout / 駆動方式 Mid-engine, Rear-wheel-drive MR: ミッド・エンジン、リア・ドライブ
Dimensions / 寸法 mm L 4190 x W 2030 x H 1200 mm
(Barchetta H 1033 mm)
全長4190 × 全幅2030 × 全高1200 mm
(バルケッタ 全高1033 mm)
Kerb Weight / 車両重量 Coupe BMW: 1,200 kg
Coupe Ford: 1,400 kg
Barchetta: 1,050 kg
BMWエンジン・クーペ: 1,200 ㎏
フォードエンジン・クーペ: 1,400 ㎏
バルケッタ(フルオープン): 1,050 ㎏
 Designer / デザイナー Carlo Gaino (Synthesis Design) カルロ・ガイノ (シンセシス・デザイン社)
1/43 De Tomaso Guara 2001 デ・トマソ・グアラ 2001年

創業者と共に去ったロード・ゴーイング・レーサー

1928年7月10日、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスで、アレハンドロ・デ・トマソは政治家の裕福な家庭(イタリア移民系)に生まれました。幼くして父を亡くしますが、17歳でレース活動を開始し名を上げます。軍事政権の発足による国情不安に加え、マセラティ兄弟が興したオスカ社の誘いもあり、55年に祖父の故郷イタリアへと渡ります。

 

イタリアでマセラティのメカニックやドライバーを務める中、1人のアメリカ人・女性ドライバーに出会います。57年に妻となるイザベル・ハスケルです。GM創世期の役員を務めた大富豪の娘でした。後にフォードからエンジン供給が得られた裏には、イザベルの人脈があったと言われています。

 

オスカに移籍し、ドライバーとしてF1に参戦したアレハンドロは、オーナーのマセラティ兄弟にミッド・エンジン化を再三提言するも聞き入れられません。そこで、クーパーのF2マシンにオスカ製直4エンジンを載せ、ミッドシップ・レーシングカーを自作します。そしてイザベルの援助でオスカから独立し、59年にデ・トマソ・アウトモビリ(後のデ・トマソ・モデナ)を設立します。ドライバーからコンストラクターへの転身です。

 

ミッドシップ・レーシングカー開発をブランド創成の原点とするデ・トマソは、F1を撤退する70年までフォーミュラ・カーを製造しながら、ミッドシップ・ロードカーの開発にも着手します。自社初の量産ロードカーは、65年11月のトリノ・ショーで発表した、バックボーン・フレームに直4エンジンをミッド・マウントするヴァレルンガです(試作車は63年)。

 

次作のマングスタでフォード製V8エンジンの搭載を実現すると、低価格の量産スーパーカーの開発に挑戦します。そのため、基本構造をバックボーン・フレームからセミ・モノコックへと変更します。そうして誕生した廉価版スーパーカーが、70年に登場したパンテーラです。

 

アレハンドロの先見の明と、イザベルの内助の功により、パンテーラは四半世紀にわたり生産され続け、デ・トマソは経営危機のマセラティを救済するほどに成長します。80年代にマセラティの復活を成し遂げますが、パンテーラに頼り過ぎたデ・トマソ本体が行き詰まり始めます。そこで原点回帰です。

 

パンテーラに代わる新しい旗艦モデルとして、デ・トマソはバックボーン・フレームのミッドシップ・ロードレーサーの開発に着手します。元々はマセラティのために用意した計画(90年のチュバスコ)でしたが、フィアットの意向で断念したため、本家デ・トマソの復活計画へと格上げされました。

 

しかし、93年1月、アレハンドロは脳溢血で倒れます。その春、デ・トマソの新時代を切り拓く23年ぶりの完全新規開発のミッドシップ車 “グアラ” がジュネーヴ・ショーで発表されます。グアラとは、アルゼンチンに生息するタテガミオオカミで、イヌ科最速にしてチータに次ぐ俊足を誇る絶滅危惧種です。

 

広く低いフォルムで、柔らかくシンプル過ぎるほどのエクステリア、その中心部には燃料タンクを組込んだアルミニウム・ハニカム材のバックボーン・フレームが通っており、ミッド・マウントしたV8エンジンのパワーを、F1然としたサスペンションが路面へと仲介します。ミッドシップ先駆者としての誇り、そしてアレハンドロ創業の志を体現した1台です。

 

アレハンドロが倒れた後、マセラティなど傘下の企業は順に手放し、デ・トマソだけを維持して主人の帰りを待ちます。99年の創立40周年記念式典で、久々にアレハンドロが公の場に姿を現しますが、復活することなく2003年5月21日に永眠します(享年74)。翌2004年5月、イザベルら遺族一同は、デ・トマソ45年の歴史に終止符を打ちました。グアラに託された再興の夢は叶えられること無く、アレハンドロの死と共に “絶滅危惧種” も終焉を迎えたのです。

 

デ・トマソの代名詞パンテーラが7298台生産されたのに対し、グアラは1%にも満たないわずか50台です。実車の知名度が低いため、モデルカー化は1社のみ、稀少車やコンセプトカーを積極的にリリースするフランスのアレザンだけです(2015年5月現在)。写真は、私がアレザンに特注したシルバーのファクトリー・ビルト作品で、ボンネット・フードにエア・アウトレットを備えた後期型2001年式です。アレザンは前期型1994年式クーペや、バルケッタも製品化しています。


お気に入りの特定車種はもちろん、関連する一連の車種もモデルカーで揃えることにより、当時携わった人々の情熱やブランドの開発戦略、エンジニアリングの進化やスタイリングの変遷など、長い年月を掛けて紡がれた歴史物語を、卓上で展開する3D絵巻として堪能することができます。モデルカーならではの愉しみ方ですので、ぜひお試しください。