Ercole Spada / エルコーレ・スパーダ氏


風を味方につけたコーダ・トロンカ・スタイリスト


ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロ、ピニンファリーナのレオナルド・フィオラヴァンティのように、各時代でカロッツェリアの名声を不動のものにしたエース・デザイナーが存在しました。

 

スーパースポーツがミッドシップへと移行しつつある1960年代、カロッツェリア・ザガートにおいても、一人のエース・デザイナーが強烈なブランド・イメージを確立しました。上述の3名(同い年)より1歳年上の、エルコーレ・スパーダです。

デザイナーの基本情報

Personal Profile / 人物プロフィール

Name / 氏名 Ercole Spada エルコーレ・スパーダ
Born / 生誕 26 July, 1937 / Busto Arsizio, Varese, Lombardy, Italy 1937年7月26日 / イタリア、ロンバルディア州、ヴァレーゼ、ブスト・アルシーツィオ
Occupation / 職業 Automotive and Industrial Designer, Co-founder of Design Studio 自動車・工業デザイナー、デザイン・スタジオの共同創設者
Career / 経歴 1960: Carrozzeria Zagato
1970: Carrozzeria Ghia (Ford)
1976: BMW Design Center
1983: I.DE.A (Institute for Development in Automobile)
1992: Carrozzeria Zagato
1993: Freelance Designer
Present: Spadaconcept (Founder)
1960年: カロッツェリア・ザガート
1970年: カロッツェリア・ギア(フォード)
1976年: BMWデザイン・センター
1983年: I.DE.A(インスティテュート・フォー・ディヴェロップメント・イン・オートモービル)
1992年: カロッツェリア・ザガート(復帰)
1993年: フリーランス・デザイナー(独立)
現在: スパーダコンセプト(共同創設)

Personal History / 人物の略歴

エルコーレ・スパーダは、兵役を終えると1960年にザガートへ入社します。デ・トマソからフォードに経営が移ったカロッツェリア・ギアへ移籍するまでの約10年間、エルコーレはザガートの代名詞となるような数々の名車をデザインします。

 

フォードでは、ラリー専用のミッドシップ車GT70(70年)などに携わり、76年にフォードを離れると、アウディを経てBMWに移籍します。そして、2代目7シリーズ(E32)や3台目5シリーズ(E34)などに洗練されたスタイリングを提供します。

 

83年にドイツからイタリアへ戻り、78年に設立されたデザイン会社のI.DE.A(イデア)で、大衆乗用車のデザインを多く手掛けます。イデアには、ワルター・デ・シルヴァも属していました。エルコーレは92年に、古巣ザガートへと復帰します。

 

しかし、イデア時代の部下である原田則彦をザガートの後任デザイナーに据えると、自らは93年にザガートを去ります。フリーランスを経て、息子のパウロ・スパーダと共にスパーダコンセプトを創設し、デザイナー活動を続けています。

代表的なデザイン作品

アストン・マーティンDB4GTで鮮烈デビューを果たしたエルコーレは、ザガートと共に才能を開花させ、エキゾチックな造形のスポーツカーを数々生み出しています。

 

特に、コーダ・トロンカを採用したSZ(61年)、TZ1(63年)、TZ2(65年)、ジュニアZ(69年)の一連のアルファ・ロメオはコンペティションGTとしても名を馳せました。

Aston Martin DB4 GT Zagato / アストン・マーティン DB4 GT ザガート 1960年

1/43 Aston Martin DB4 GT Zagato / アストン・マーティン DB4 GT ザガート 1960年

それまで同郷ミラノのアルファ・ロメオを中心に、イタリア車のボディ・スタイリングを手掛けてきザガートは、自社初のイギリス車となるアストン・マーティンDB4GTザガートを、1960年のロンドン・モーターショーで発表します。

 

エルコーレにとっても、本作がザガート初のデザイン・ワークとなりました。3.7リッター直6エンジンを高性能化し、無駄を削ぎ落とした軽量コンパクトな空力ボディを架装したDB4GTザガートは、61年からレースでも活躍します。

 

レースを出自とするアストン・マーティンと、アルファ・ロメオでコンペティションに精通したザガートの提携は定期的に続き、2016年には50周年を記念した提携5作目となるアストン・マーティン・ヴァンキッシュ・ザガートが披露されました。

 

DB4GTザガートは、60~63年に正規で生産された19台の他に、88~91年に4台の追加改造車サンクションⅡ(公認の意味)、2000年に2台のサンクションⅢが製造されましたが、それでも累計25台の希少な人気車種です。

Alfa Romeo Giulia TZ2 / アルファ・ロメオ TZ2 1966年

1/43 Alfa Romeo Giulia TZ2 / アルファ・ロメオ TZ2 1966年

1960年のアルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ(スプリント・ザガート)は、コンペティションGTとしてレースで好成績を上げます。しかし、さらなる戦闘力の向上に迫られたため、エルコーレがコーダ・トロンカ・ボディを採用します。

 

コーダ・トロンカとはイタリア語で “切断した尾” を意味し、ドイツ人のウニベルト・カム博士(1893~1966年)の理論に基づく形状で、英語ではカム・テールと呼ばれます。61年からの後期型SZにはコーダ・トロンカのサブネームが付きました。

 

その後継コンペティションGTとして、エルコーレのデザインしたアルミ製コーダ・トロンカ・ボディのジュリアTZ(チュボラーレ・ザガート)が63年に発表されます。TZとは、軽量の鋼管スペース・フレーム製のシャーシを意味しています。

 

ロードカーのTZ(後のTZ1)は、65年までに112台が生産されました。その後、さらに軽量なで空力に優れるFRPボディを架装したレース仕様のTZ2が約12台製作されます。しかし、レースの主役は既にミッドシップ車へ移行していました。

Ferrari FZ93 (Formula Zagato '93) / フェラーリ FZ93(フォーミュラ・ザガート’93) 1993年

1/43 Ferrari FZ93 (Formula Zagato '93) / フェラーリ FZ93(フォーミュラ・ザガート’93) 1993年

I.DE.Aからザガートに復帰したエルコーレは、フェラーリ・テスタロッサ(512TRシャーシNo.83935)に野心的なボディを架装します。その名はフォーミュラ・ザガート(FZ)93、つまり当時のF1にインスパイアされたボディ・スタイリングです。

 

F1では1990年に、ダウンフォースを増加させるためにティレル019がハイノーズを採用します。翌91年には、ミハエル・シューマッハもステアリングを握ったベネトンB191から、後に主流となる吊り下げ式ハイノーズが登場しました。

 

FZ93のフロント・グリル形状は、ピニンファリーナの奥山清行がデザインしたエンツォ・フェラーリ(2002年)を10年近く先取りし、F1ハイノーズの意匠が取り入れられています。テスタロッサに対し、エルコーレらしい異形のフォルムです。

 

93年のジュネーヴ・モーターショーでは赤と黒のツートン・カラーに大きく跳ね馬があしらわれたボディでしたが、後にオール・レッドに再塗装されます。ザガートを去ったエルコーレに敬意を表し、車名も翌94年にES1へと改められました。

OSCA Dromos 2500GT / オスカ・ドロモス 2500GT 1998~2001年

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オスカとは、1919年にマセラティを創業したマセラティ兄弟が、47年にボローニャで設立した自動車メーカーです。エルコーレは、アルファ・ロメオ・ジュリアSZの後、60年に1.6リッター直4のオスカ1600GTZをデザインし、100台弱が生産されましたが、オスカは67年に活動を休止します。

 

98年、元ザガート・カーのルカ・ザガート(創業者ウーゴの孫)とザガート・ジャパンの藤田尚三によって、オスカは復活します。エルコーレがデザインした780kgのボディに、スバル製2.5リッター・フラット4をミッド搭載した2500GTが発表されました。しかし、市販化されぬまま再び活動を休止します。